調停・仲裁者としての薬剤師,出番です

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2017.6.21

薬価基準収載医薬品の総数は2万ほどにも上る。

円周率を2万桁も無駄に記憶できるような強者でも,全ての医薬品を記憶するのは無理だろう。さらにそれぞれの薬剤がどのカテゴリーに属して,薬物としてどのような基本構造を持ち,どのような効能と副作用があって,どのように代謝されて他の薬剤とどのような相互作用があるのかなんてことになると,自分の診療科の薬物ですら完全に把握するのは難しい。

そんな無知な医者に薬を使われるのは困ると思われるかもしれないが,これはやむを得ない話だ。

医学部では薬物について薬学・薬理学講義で学ぶ。医学部では医学全般という広い範囲を学ぶ必要があるため薬に関係した講義は1年間ほどで終わらざるをえない。一方薬学部ではそれをじっくり数年間かけて学ぶ。結果,薬物に関して薬剤師と医師では雲竜井蛙(うんりゅうせいあ)の知識差ができあがる。インド対日本のカバディ対決のような圧倒的な実力差である。プロとアマの差といってもいい。

日本の医療制度は医師の薬学知識が不十分なことを前提として作られている。薬剤師は疑義照会といってその処方の意図や問題点・疑問点について医師に問い合わせる義務を負っている。薬物知識の少ない医者が安全に医療を続けることができるのは薬剤師のお陰なのである。

ところが,困ったことに医者という生き物はやたらと自尊心が高い。疑義照会されただけで「オレ様の処方に文句があるのか」「こっちの処方はやめない,あっちの処方をやめさせる」と立腹して,ろくな根拠も示せぬまま誤った処方を感情的にゴリ押しして薬剤師を困らせる者もいると聞く。

昨今高齢者のポリファーマシー(薬剤過多状態)が社会問題になっている。それぞれの診療科が投薬の必要性と正当性を主張し優位性を積極的に譲ろうとはしない中,患者の総合的利益といった視点に立ってそのパワーバランスを調整できるのは仲介者としての薬剤師しかいないのではなかろうか,というのが今回のお題としたいところなのである。

「その薬は止めてもらえないか」とは医者同士では言うことはなかなか難しい。禍根を残す場合すらある。利害が絡んだ国同士の問題を解決する時の仲裁国の存在と同様に,医療においてニュートラルな立場から意見し調停・仲裁ができる者が今求められている。

そのような立場としての薬剤師のポジションを担保できる制度の設定が急がれてやまない。今時代はまさに薬剤師が鳴り物入りでしゃしゃり出てほしい場面に突入している。