秋田県大館市 山内耳鼻咽喉科

SNSが人類の叡智であるように

子供の頃「2000年の未来」などという華やかな未来予想図をよく目にした。イメージとしてはトム・クルーズ主演「マイノリティー・レポート」が描く未来都市の風景がそれに近い。

だが現実はどうだろう。予想時代を20年近く過ぎた今になっても殆ど変わっていない。当然である。本来地面を走る乗り物が浮遊移動するような物理法則が無視された世界は,幼児でも容易に空想できるが現実にはほぼあり得ないからだ。

いま我々は40数年前とさほど変わり映えしない世界にいる。車は増えたが空中浮遊はせず同じ三色の信号機の前に止まり,電車は機能的になったが相変わらず二本の鉄レール上を走り空を蛇行する透明パイプの中を滑走していることはない。服装についても一部のコスプレマニアを除けば近未来的なユニフォームで身を包んでいる者もいない。

戦後の激しい変化の時代を生きた人々は,変化が見えないことに逼塞感や物足りなさを感じているかもしれない。だが変化がないというのはむしろ喜ぶべきことだ。病気の場合もそうだが「変化がないのは良い変化」という言葉を私は好んで使う。

しかし,以上は外見上の変化の話である。

実際には我々は凄まじい変化の中にいる。浮遊する車より空中を滑空する電車よりもはるかに凄まじく重大な変化である。

それを改めて考えさせたのは昨日の産経新聞の「オールナイトニッポン50週年」の記事である。「深夜放送は今のSNS」という見出しにそうだったよなと懐かしさを感じたとの同時に,今のSNSの世界がかつての未来予想像を遥かに超えて異形な姿を膨張させているとことに改めて気づかされたのである。

これは旧世界を破壊しかねないほどの甚大な変化であると一部の人は感じている筈である。しかし往々にして人々は変化の真っ只中ではその変化に気づかない。ただ道を歩いているだけのつもりだったが気がついたら山巓(さんてん)にいた,概ね変化とはそのようなものだ。

落とし所の難しい話だが,足元だけを見て歩くのではなく,時折振り返って自分の歩いている場所を確認しなければという自戒をこめた話である。30年後の未来,自分は生きているかどうか分からない。おそらくその社会は外見的には何も変わっていないとは思うが内実には現時点で予想不能な変化が起きていることだろう。SNSが人類の叡智だったと笑いながら猫を撫でれるような30年後を望んでいる。(写真は昨日朝,拙宅の欅にできた霧氷)