帰省と孫かで

来年のことを言うと鬼が笑うというが,起こるべくして起こるものに対しては鬼も笑うまい。

帰省の嵐が過ぎ去った後,ある年齢層の患者さんが毎年口にする言葉がある。

「孫の面倒をみて本当に疲れた」
「孫にカゼうつされてまだ治らない」

この北奥羽地方には「孫かで」という言葉がある。孫の面倒をみるという意味で,おそらく「かで」の語源は糅(か)てる(混ぜる,参加させる)であろう。

最近知ったのだが「来て嬉しい,帰って嬉しい孫」という言葉があるという。久々の孫とのふれあいは大きな楽しみであると同時に体力と精神力をすり減らす重いイベントである。60代前半ほどの若い祖父母でも孫が帰った後は困憊してしまうという。子らは帰省すると孫を祖父母に預けて友人らと久闊を叙したりするわけだが,その間祖父母は孫の遊び相手をしたり慣れない娯楽施設に連れて行って飽きさせないよう努め続ける必要がある。多動で予期不能な動きをする幼児の場合はその監視に神経をすり減らしてしまう。

私には孫はいないが,それがどれ程きついのかは容易に想像できる。私も既に似たような年齢だからだ。

振り返ると私自身も義父母や母に子供らを預けていた頃があった。私はそれが親孝行だと単純に信じていた。祖父母は孫と触れ合いたい筈だからこれは親孝行の筈だと。そして彼らの心身の疲労について考えもしなかった。孫との楽しい時間と彼らの健康の物々交換は,彼らの健康状態を観察し,意見を聞き出した上で決めるべきだったと反省している。

孫との繋がりが生き甲斐とする人もいるし,体を壊してでも孫を楽しませようとする祖父母も多いだう。だがそこに単純に甘えてはいけないと思う。彼らはそれこそ「命がけ」で孫を楽しませようとするだろうから。彼らの間に適切に介入する必要がある。推察するに祖父母が対処可能な孫の人数は,祖父母が育てた子供の数までである。たとえば一人っ子しか育てた経験がない祖父母に複数人の子供を預けるとたちまち心身をすり減らしてしまう。

子供を連れて帰省する際はどうかこのことを頭の隅に置いておいて欲しい。それではよいお年を。