東京医科大学入試操作問題の本質

東京医科大学の入試操作問題がいま俎上(そじょう)で裁かれている。

ここでは贈収賄にからんだ不正入試問題ではなく,入試操作という部分についてのみ述べたい。

医療問題の現実を知る人達からは「必要悪」だという弁護の声も聞こえてはくるが,男女平等丸という不沈の巨大戦艦のからルサンチマンをこめた神罰の号砲が鳴り響くなかでは,その声は力を失っている。

私見を述べさせていただくと,男女差別を糾弾する人々も,必要悪だという人々についてもその視点は今回の事件の中核的な部分と若干ずれている。

今回の問題の中核は女性であることや多浪生であることで一律に減点処理されていたという部分にある。この一律にというのが問題なのである。今回の問題は次のように大学が事前に声明して最終的な合否決定が二次試験や面接後に委ねられていたのなら防げたのである。

「本医大は実践的な臨床医を養成する場である。社会の医師要請状況に鑑み,入学試験は臨床医に激務に耐えられるだけの知力,体力,忍耐力を備えた者を選択することを目的としている」

どんなに知力が優れていても医師に適性がない人もいる。逆に知力はさほどでもなくても医師として捨てがたい特性を持っている人もいる。医師に向かない男子もいる,医師に向いた女子もいる,たとえ女子が一次試験で高得点であっても,医師としての実践的要素に欠けるとみなされれば二次試験以降に落とされる可能性もある。多くの属性を総合的に考えた上で最終決定する,その結果男子が多く女子が少なかった,現役生が多く多浪生が少なかったといえばそれはやむを得ないことである。いや本当は止むをえなくもないのかもしれないが,少なくとも世間から雨あられの攻撃を受けることはなかったのである。

社会の逆鱗に触れたのは「女性だから一律に」という部分であって,女性が医師になることが男性よりも困難である部分にあったのではないということだ。

大学にしてみれば入試の煩雑な作業を楽にしたいので,どうせ二次試験や面接でふるい落とすのなら,予めふるいにかけておいてもいいじゃないか,という程度の甘い判断だったのだろう。

結果云々ではなく,人は「軽く見られる,十把一絡げに見られる」こと,心理学でいうところの「値引き」に怒りを覚える。心理学を学ばずとも分かりそうなことを,それを教える立場にあるはずの教育機関の人たちが認識できていなかったという喜劇であり悲劇だったのである。

だから,今回の問題は「女性医師を増やすべきである」という問題と通底してはいるが,核心部分は「女性が軽く見られた」なのである。