蘇る40年前・嗅覚を大切に

私事だが,最近においを感じにくくなっていることに気がついた。家内や子供に比べると明らかに鈍い。

小学校時代からの宿痾(しゅくあ)ともいえるアレルギー性鼻炎のせいである。アレルギー性鼻炎の多くは経過とともに乾燥・後鼻漏型に変化していく。くしゃみや鼻水は減るのだが,鼻の乾燥感,鼻閉感,後鼻漏(鼻汁がのどに下がる),嗅覚障害が目立ってくる。嗅覚障害は気づかない間に進んでいることが多く,ある時に偶然気づく人も多い。

においは大脳辺縁系と呼ばれる本能の中枢と直結し,さらに記憶にも関連していて,意識の水面下で重要な働きをしている。つまり嗅覚の低下は自覚症状としては現れない何らかの神経機能の低下をひきおこしている可能性がある。

それを示唆するできごとがあった。

もう2ヶ月ほど前のことだが家内がいつもと違う入浴剤を買ってきた。それは入浴剤の嚆矢ともいえるT社のもので数十年前の発売時と同じジャスミン芳香のものだった。数多の入浴剤が販売される中でこのような商品がいまだに売られていることに驚いたが,それを風呂に入れた自分はもっと驚いた。

今から40余年前,中学校時代に住んでいた安普請の浴室がジャスミン香料の安っぽい匂いとともに眼前に生き生きと蘇ってきた。滑りの悪い引き戸の音,足趾を突き刺す冬のスノコの冷たさ,浴室にあった二槽式洗濯機,オレンジ枠の鏡,風呂に潜る時に使った水中メガネのゴム臭さとヒビの入ったヘッドバンドの感触,壁を超えて聞こえる灯油式風呂釜の轟々とした燃焼音,まるで今そのセットの中にいるような現実感が蘇ってきたのである。

私は風呂の湯を手に掬い鼻の近くに何度も運んで古い記憶の反芻を楽しんだ。

においは意識の底で記憶力を活性化している可能性が高い。

家内の古い鮮明な記憶の多くが食事と関連しているのもそのためだろう。このような事例はアルツハイマー病やパーキンソン病などの脳機能が低下する病気で嗅覚障害が先行するという事実と符合させることができる。

このような末期鼻炎の治療は難しい。粘膜組織にリモデリングと呼ばれる不可逆な変化が生じているからである。

気道のアレルギー疾患の代表である気管支喘息ではリモデリング予防に心血が注がれているが,アレルギー性鼻炎についてはまだそのような視野に立った医療が行われてはいない。それはアレルギー性鼻炎が生命に直結した病気でないからだ。だが嗅覚は生活の便利不便利を超えて人間らしい生活を営むことに役立ち,想像以上に大切だということをなんとなく意識してもらえればと思う。

鼻を大切に。(写真は本日,拙宅庭のヒメジョウゴゴケ)