年取ったら黙々と食うべし

逆流性食道炎で耳鼻科を受診する患者さんは結構多い。喉の症状だけが目立って胸焼けや逆流感がない人が多いので,最初の受診が耳鼻科になってしまうのだろう。

かくいう私も30代後半から逆流性食道炎を患っていた。食べ物の質(消化に時間がかかるものを避ける),量(腹八分目に),時間(寝る前に食べない)などのよく言われている食生活対策や,治療薬もあれこれ試してみた。しかしどれも殆ど効果がなかったので,こんなものだろうと諦めていた。医者は,ことさら自分のこととなると薬の効き目に見切りをつけるのが早い。

それが最近嘘のように症状が軽くなった。そこに至る経過の中で考えたことを述べたい。全豹一斑(ぜんぴょういっぱん),つまり僅かな例をもって全てを語ることは科学の世界では慎むべきことだと言われているが,大学者のひらめきも案外しょーもないことから発芽するというのは偉人伝の定番シナリオであるから別に卑下することもないだろう。ただ,私自身は消化器内科医ではなく逆流性食道炎の治療としては門外漢である。ご意見や反論は承りたい。

ある日,私はぼーっと晩飯を食っていた。脳みそを空っぽにして意識を亜空間に浮遊させているのは心地良い。ジャイアン母的な昭和の母親なら「茶碗洗うからさっさと食っちまいな」と怒号が飛びそうな状況である。ゆっくりゆっくり牛が反芻するように食っていた。ふと思った,今まで噛むという意識なく食っていたなと。別に丸呑みしていたわけではないが今までは結構早食いだった。

その変化は翌朝からだった。嘘のように胃と胸が軽くなっていた。

小学校の頃はよく噛んで食べるようにうるさく指導された。もっとも当時の給食のパンはよく噛まなければ食べることができないほど固く,噛むなと言われても噛まざるを得なかった。しかし早食いは男子の勲章だった。給食を食べるのが遅いのはそれだけでイジられる対象だったのである。少ない昼休みを有効に使うためにも早食いは有利だった。

早食いの習慣は修正し難い。

さらにワイワイ話しながら食べるのが美味しい!などという食行動文化がそれを後押しした。ワイワイ食べるには咀嚼時間を短くする必要がある。口を空にしないと話せないからだ。そして咀嚼不十分な食物がどんどんと胃に落とされていく。それでも若いうちは強靭な胃が難なく消化してくれた。

しかし40才辺りから内臓の老化が目立ち始める,注目すべきは平滑筋の硬化と萎縮だ。特に影響を受けるのは胃と膀胱である。伸びにくく縮みにくい袋と化してくる。

そんな胃の状況を例えるには昔ながら手洗い洗濯がいいだろう。強い腕力があれば効率的に洗うことができる。胃に例えると胃がよく動けばよく消化できるということである。しかし腕力が落ちてきたらどうだろう,よく洗うには時間がかかるしより多くの洗剤に頼らざるを得ないだろう,胃に例えるとより多くの時間と胃液が必要になるということだ。

平滑筋が萎縮すると内臓の締りが緩む。胃と食道の境目も緩んでくる。その状態で長時間大量の胃液が分泌されることを想像できれば逆流性食道炎に至る仕組みは容易に想像できる。

食道炎の悪化原因は様々あるだろう。制酸剤が効かない場合には不十分な咀嚼を考える必要がある。制酸剤は胃の消化力を落として食物塊はより長時間胃に留まることになるからだ。薬の効かない食道炎の方で,自分は食事が早いなと思う方は是非しっかり咀嚼することを試みてほしい。口の中の食物の形が完全になくなるまで咀嚼する,そんな意識で食べてみてほしい。

年取ったら黙々と食べる。ゆっくりと。(写真は4年前,取り壊し前の市民プールと,これから取り壊される予定の大館市立体育館)