市内クリニック相次ぎ閉院

最近この街で3つのクリニックが門扉を閉じた。内科と眼科と皮膚科である。

都会にばかり医者が集まっている。それが問題になってからすでにかなり経っている。医学部の地域枠とかいろいろと対策が立てられているけどまだ効果が実感できない。思うに,今後彼らが地方の病院に勤務するようになってもそこは彼らにとって苟且(かりそめ)の住処でしかないんじゃないかと思ってしまう。心がねじけている私には,地域のために骨を埋めます!などという言葉は採用面接のお題目にしか聞こえない。非難しようというつもりはない,ただ自分もそうだったように,人間ってそんなもんだと思うだけ。

大館市の開業医はもうかなり年寄りだ。私もやや予備軍ではある。これから10年以内に相当な数のクリニックが閉院すると思う。しかし空いた穴がどのように修復されるかはまったく不透明。だれかが開業してくれればいいが想像せずとも厳しいのはわかる。地域の総合病院に勤務していた医師が開業などでその地に根を下ろすのは数%に満たないのだから。

さて医者が地域に根を下ろす環境的な条件として

(1)医師のしての勉強できるかどうか
(2)田舎の不便さを納得できるか
(3)切磋琢磨の乏しい田舎で子供の学業をどうするか
(4)上記について医師本人より厳しい配偶者を説得できるか

まあ,相当に厳しいです。

さらに環境的な条件は内的な条件つまり医師の心の問題がクリアされて初めて俎上(そじょう)に上がってくる。本人のやる気がなければ話にもならないのである。そこに大きく影響するのは自らがかつてその土地で育てられたという,その土地や地域の人々への感謝だ。美しい話で丸め込もうという意図はないです。ただ,これがめちゃくちゃ重要というか,もうこれしかないというほど大切なものだと思うからです。単にその地の出身であるというだけでは不十分で,幼少期や学生時代に地域社会との有機的な関わり合いがあったかどうかどうか,これが最も大切だと感じます。

自分自身のことを言えば,家族や親戚,恩師や友人,また友人の保護者や地域の人たちにとてつもなく迷惑をかけて,もう償う以外に手段はない,という使命感が私を呼び寄せたといえます。つまり私のとっての地域医療のキーワードは「償い」「弁償」なのです。

今はただ,地元高校を出て医師になった人たちがまた大館に戻ってきてくれればいいなと思っています。ただ,私と違って素直で真面目な人達でしょうから,私のように地域に負い目とか,迷惑とかそんな思いを残してはいないでしょうし戻る理由を感じないかもしれません。