楽器は清潔に

誰かの昔話である。

時代は昭和50年代のとある田舎,男子中学生Aは音楽室の掃除を始めようとしていた。真鍮製のねじ込み式の鍵を回して滑りの悪い窓をガラガラと開けると,青いプールの向こうに鉱山の建物が見えた。

なんでも生徒が教室を掃除をするというのは世界的にみると相当珍しい行為らしい。もちろんそんなことを知る由もなく,否応なく掃除をさせられていた。

Aが女子から顰蹙の視線を浴びながらド下手なバトントワラーのようにホウキを無造作に振り回していると,ふと机の中に白い何かが見えた。

それはベージュ色のリコーダーだった。

誰かの忘れ物のようである。机の上に出してみた。しかし名前は書いていない。

Aはそのリコーダーを手に取り,何を血迷ったのか,吹口を自分の鼻に近づけた。なんでそんなことをしたのだろうか,おそらくは本能に呼び寄せられた犬や猫に近い反応だったのだと思う。そんな年齢だ。

そして,彼はその匂いを嗅いだ。

前頭葉にまさに生じようとする後悔の念を追い越して前頭葉に到達した嗅覚信号は反射的にAを後ろにのけぞらせた。後ろに誰もいなかったが幸いだった。思わず息を止めた彼の口から「くっせーっ」と声が出たのはその数秒後だった。

ずいぶんしつこい導入部だったが,今回の話題としたいことは,管楽器がいかに不潔になりやすいかということである。2011年にオクラホマ州立大学が高校ブラスバンド部で使用されている13種類の管楽器を調査したところ,400種類を超える細菌が検出されてその多くが耐性菌だったという。また2016年にはバグパイプに繁殖したカビによって死亡した例も報告されている。

少なくとも私自身は管楽器によると思われる健康被害を診察したことはない(リコーダーで殴られて怪我をしたというのは診たことがある)が,衛生意識だけはきちんと持っていたほうが良いのではないでしょうか。(写真は拙宅庭から見上げた夏空)