口臭とエイト・フォー感化

今日は口臭の話をしたい。

日本人は体臭・口臭を嫌う国民であるようだ。欧米人は日本人を「無臭」であるという。無臭であるがゆえに僅かな臭いにも敏感に反応してしまうという説明も分からないでもない。

日本人が体臭を嫌うようになったのはいつからだろう。少なくとも私の父の世代では体臭を消そうなどという文化は無かったように思う。強烈な匂いのヘアトニックやチック(いわゆるグリース),そして口臭には仁丹が父の世代の定番だった。それは臭いを消すというより誤魔化すという類のもので,方向性としては体臭のきつい欧米人がコロンを使用するのと同じである。思い出しても親父の臭いは強烈だった。親父の膝に抱きかかえられると,ヘアトニック,タバコ,仁丹,歯肉炎のような臭いが敏感な少年をトランス状態にした。親父は酒を飲まなかったからまだマシだったかもしれない。

それがいつの日からだろう,体臭は消すものだということになっていた。おそらく体臭を消すことを商業契機とみた人たちが,体臭・口臭は不健康,悪,嫌われる,だから消すべきという方向に人々を誘導していった結果なのだろう。エイト・フォー感化とでも言うべきだろうか。

耳鼻科の診療は患者さんの口のそばに寄るので口臭のきつい人はすぐに分かる。しかし最近では昔なら仁丹臭かった世代の人でも虫歯も歯肉炎もなく健康な口腔をもっている人が多い。そういう意味でエイトフォー感化は良い方向に花開いている部分が大きい。一方「自分の口が臭くて人に嫌われている」と訴える自己臭恐怖という心の病も生み出していることも事実である。何事にも正の側面と負の側面があるものである。

さてなぜ自分自身の口臭を感じないのだろうか。

これは2つの理由による。ひとつは,嗅覚は疲労しやすい感覚なので,同じ匂いを嗅ぎ続けていると匂いを感じなくなってくるということ,もうひとつは鼻の中の空気の流れ方である。吸い込む空気は鼻腔の最も上の部分にある嗅裂と呼ばれる嗅覚神経がある部分も通るが,吐き出す空気は嗅裂を通らないからである。これは鼻の解剖図をみれば分かりやすい。健康な人間であっても呼気には何らかの臭気を含んでいるが,それを感じずに済んでいるのはそのような理由からである。呼吸するごとに自分の呼気が臭かったならば人生は芳しいものではないですね。(写真は9年前の参議院選挙時)