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感覚障害者の感覚世界観を考える

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2017.4.19

最近,「目の見えない人は世界をどう見ているのか」(伊藤亜沙著 光文社新書)を読んだ。

全体的に予想と大きく外れた内容ではなかった。目の見えない人には視点というものが存在しないため,世界を空から見下ろすように客観的かつ俯瞰的に認識しているという。確かにそうなんだろうなと納得できる。

一方驚いたのは,ものを見た経験のない全盲の人でも色の概念を理解していることがあるという記述。全盲者が「私の好きな色は青」などというと晴眼者は驚いてしまうが,話を聞いてみると,彼らはその色をしているものの集合を覚えることで色彩をイメージ化するのだという。たとえば赤は「りんご」「いちご」「トマト」「くちびる」が属していて「あたたかい気持ちになる色」,黄色は「バナナ」「踏切」「卵」が属していて「黒と組み合わせると警告を意味する色」なのだそうだ。ただ,筆者が質問したその全盲者は混色という概念が理解できず,たとえば赤と黄色を混ぜることが机と椅子を混ぜるような感じで,どうも納得がいかないのだという。

この部分は私が今まで探していたある疑問に少し光を当ててくれた。それは,生まれながらにしてある感覚を持っていない人が,その感覚がどのようなものなのかをたとえイメージの上でも体感し得るのかという疑問だ。

上の全盲者の例でいえば,色の概念を言語的に理解しても,混色でつまずいてしまう。たとえ言葉を集めることでイメージ化することができても,晴眼者がもつ様々な色が混ざって新たな色が作られるという色彩感覚を持つことができない。

同様に,生まれながらの全聾者の音に対するイメージも同じようなものだと想像することができる。

音が空気の振動であるという定義は理解できても,それを知覚するとどんな感覚を得るのか,なぜそれが言語や音楽を形成できるのか,それはおそらく理解は極めて困難だろうし,それができないことを不幸だとか不便であるという認識もおそらく生まれないだろう。それは,我々が超音波が聞こえないから不便だとか,紫外線やニュートリノが見えないから不幸だと感じないことと同じである。この世に生を受けてから知覚感覚の及ぶ範囲で世界が過不足なく形成される。その外に何があるかなど意識し得ない,つまり実質的にそこには何もないのである。そういう意味で,生まれながらにある感覚が傷害されている人々は不幸ではないのである。彼らを不幸だとみなすのは健常者の偏見なのである。

ただし,今まであった感覚を失う場合は異なる。既存の世界が欠けることになってしまうからだ。本書では人生半ばに視力を失った人たちが欠けた世界をどのように受容し順応していくのかも記載されている,視力や聴力を失った人達に対する認識を変えてくれるような本だといえるだろう。

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