現代マスク考える。給食,スケバンそして今。

インフルエンザのシーズンがじわじわと始まっている。

インフルエンザといえば連想されるマスク,数年前に新型インフルエンザが社会問題になった際は誰もがマスクを装用していたが最近の装着率はそれほどでもない。

今でこそ一般社会で高い地位を獲得したマスクだが,古い昭和の記憶を辿れば,マスクといえばちょっと情けない給食当番用のアイテムだった。当時のマスクは長方形のガーゼ布の複層構造で,両端のゴム紐で耳にかけるのだが,布の部分の面積がやたらと小さくて,なおかつ布の両端がゴムの力で窄(つぼ)まって天狗の頭襟(ときん)を口に装着したような状態になるため,子供の目にもえらく不格好なものだった。カゼをひいて咳が強い時にマスクをつけなさいと親に言われることがあったが,やはり格好悪さを気にして家を出てすぐ外していた。不人気グッズだったわけである。

そこにエポックが訪れる。昭和50年代のスケバンファッションがマスクに新しい生命を吹き込んだのである。スケバンを知らない世代の方に説明すると不良女子学生のボスキャラ的な人のことをいう。ダークサイドにいるという意識が人に顔を隠させるのだろう,そこにマスクの新たな需要が生まれたわけである。「隠す」という目的に合致するように彼女らが装着したマスクの面積はかなり大きなものだった。

つまりここで「マスクのファッション化」が萌芽したわけである。

そしてそれは彼女らに共感するちょいワル女子に,さらに普通の女子学生にもダウンサイジング拡散していった。私が高校生の頃,当市の女子校の生徒が意味なくマスクしている姿が数多く目撃されていた。明らかな悪カテゴリーの生徒もいたが,社会に対して自己決定権を示したいという程度の普通の生徒も装着していたと記憶している。今は多くの人がマスクをしているので特に何も感じることはないが,当時多くの女子高生がマスクをしてバスターミナルの壁に背を向けている姿はなかなか異様だった。

そのような時代を経て,今日,マスクは実用的にもファッション的にもかなりの地位を獲得したようである。

10年ほど前に関西医科大学が行った研究によると,マスク非装着者のインフルエンザ感染率は10.9%,装着者のそれは1.9%だったといいます。スケバンはきっとインフルエンザにかかりにくかっただろう。良いことするにも悪いことをするにも,まず健康が第一である。(写真は昨日,寒波の中,近所の歯科医院)